公文書管理法の行方
福田首相(当時)が、自らの辞任会見の翌日「公文書管理の在り方等に関する有識者会議」席上で「2008年、急に総理大臣が辞めちゃったということも、将来の国民にわかってもらえるように資料を残していかなくてはなりませんね」と自虐的(?)に語ったと新聞各紙が報じました。
福田内閣では公文書管理担当大臣を新設、今年(2008年)3月には首相の肝いりで「有識者会議」が設立され、7月には中間報告を答申、来年の通常国会で 「公文書管理法(仮称)」の法案成立をめざすという勢いでしたから、首相の突然の辞任により、この動きに水を差されたという感は否めません。
そもそも福田首相(当時)が公文書管理の改善を思い立ったのは、故郷群馬の戦災資料が日本にはなく、アメリカ国立公文書館に保存されているのを目のあたりにしたからだそうです。
日本には、公文書の保存、公開に関する基本的な法律がなく、全文書のわずか0.7%だけが国立公文書館に移管され、ほかは各省庁での内規によって勝手に処分されています。その内規さえも守られず、きわめて杜撰な管理状況にあることが、昨今の省庁の不祥事によって露呈しています。
歴史的資料の保存や公開は、今や官公庁はもちろん、企業にとっても社会的責務のひとつになっています。三井文庫に代表されるように、社会に大きな影響を与えてきた企業は独自に資料の保存や公開、研究をすすめています。各地の企業博物館(企業博物館についてはコラム02をご覧下さい) では、企業の経験や進歩の軌跡を資料に基づいて明らかにし、社会還元を試みています。公文書管理法は、公文書だけでなく、企業や団体にとっても、資料の整 理、保存、公開のガイドラインを示すものとして期待されます。また土木、建築など公共事業関連の文書については、民間が作成したものでも同法の規定が適用されるものと考えられます。
首相は、さきの席で「この政策は、政権が変わっても重要政策に変わりありません」と発言しています。遅ればせながら、ようやく具体的に動き出したこの動きを、新しい政権担当者は確実に引き継いで、国の責任を果たしていただきたいと思います。

ヘリテージサービス事業部アーカイブ担当 中川 洋
歴史系博物館学芸員として資料の収集・管理や展示・教育業務に携わり、現職に就く。
現在は、企業および学園アーカイブのコンサルティング、プランニング、マネジメントに従事。