地方公文書館の奮闘
国の公文書管理の問題が注目される昨今ですが、地方自治体では公文書の保存、公開に早い時期から取り組み、日々地道な努力が続けられています。
日本の公文書館の第一号となったのは山口県文書館で す。昭和27年、旧長州藩主毛利家から約5万点の藩政文書が山口県に寄託されると、当時の山口図書館長鈴木賢祐らは、これらの膨大な文書の本格的な保存利用機関が必要であると考えました。彼らは諸外国における“Archives”に着目し、これを「文書館(もんじょかん)」と翻訳して県立文書館設置に向け て奔走しました。
昭和34年に山口県文書館が開館、国立公文書館開館に先立つこと12年の快挙でした。現在では、藩政時代の古文書のほか、近代の行政文書・行政資料が計46万点所蔵、公開されています。貴重な歴史資料を次世代へ伝えていかなくてはならないという情熱が、国内に例のない文書館設置を実現したのです。
京都府では、明治14年に文書管理保存規定が定められ、行政文書を脈々と引き継いできました。途中何度か大量廃棄されながらも、戦災を免れたこともあって現在5万点の「京都府庁文書」が「京都府立総合資料館」に遺されています。このうち、慶応3年から昭和21年度までの行政文書約1万5千点が、平成14年に重要文化財に指定されました。府庁が設置されて間もないころから、問題意識を持って文書保管の問題に取り組み、その意識が今日まで引き継がれてきたのです。
今年4月に開館した栃木県「小山市文書館」は市史編纂事業を契機として、様々な市民団体による20年以上にわたる草の根の設立運動によって開館に漕ぎつけたものです。
また、熊本県天草市の「天草アーカイブズ」では、市町村合併による自治体文書の廃棄を避けるべく、合併相手の自治体にも保管に困った記録・資料類の引き受けを呼びかけ、それらの「救出」に取り組みました。
各地で、地道な努力が長年にわたって続けられ、貴重な資料が今日に伝えられているのです。
ヘリテージサービス事業部アーカイブ担当 中川 洋
歴史系博物館学芸員として資料の収集・管理や展示・教育業務に携わり、現職に就く。
現在は、企業および学園アーカイブのコンサルティング、プランニング、マネジメントに従事。