外務省の英断
外務省は、日米の外交密約を検証した有識者委員会の指摘を受けて、3月に外相を本部長とする外交記録公開・文書管理対策本部を設置し、新たな文書公開の仕組みを検討していましたが、5月25日、「作成から30年を経た外交文書は自動的に公開し、例外として開示しない場合は外相の了承を必要とする」という新たな規則をまとめたと発表しました。
核持ち込み密約などをめぐって、文書の保管問題が取りざたされてから、短期間でこの規則を制定したことは、高く評価されるべきでしょう。
他の省庁と違って、明治以来一貫して名称・役割の変わっていない外務省は、歴史的資料の保管や公開に後ろ向きだったわけではなく、独立したアーカイブズである「外交史料館」を1971年(昭和46)4月15日に開館しています。
国立公文書館が同年7月の開館ですから、まさに先駆的な事業展開でした。
同館のサイトには、「石井・ランシング協定」で歴史にその名を残す戦前の外相、石井菊次郎の「書類整備の完否は結局、外交の勝敗を決する」という名言が紹介されています。
しかし、2002年、当時国際情報局主任分析官だった職員が、特定の国会議員との関係を問題視されて外交史料館課長補佐に異動させられるという事件がありました。
外交史料館が、いわば左遷先となったわけで、外務省内における同館の位置づけが相対的に低位であることを内外に示すような出来事で、たいへん残念に思ったものです。
ともあれ、外部有識者を交え、外務副大臣をトップに新たに設置した「外交記録公開推進委員会」の審査で非公開が適当と判断され、外相が了承したケースを除き、原則としてすべての文書を公開する、ということですから、相当厳格な運用がなされるものと期待できます。
外交文書の非公開は、1.国の安全が害される、2.他国との信頼関係が損なわれる場合などに限定されることになります。
核持ち込み密約のような事件を、きちんと教訓化して、あるべき文書管理・公開の方向を制度として実現したことは「英断」と言うことができるでしょう。
他の省庁や自治体でも、是非見習って欲しいものです。

ヘリテージサービス事業部アーカイブ担当 中川 洋
歴史系博物館学芸員として資料の収集・管理や展示・教育業務に携わり、現職に就く。
現在は、企業および学園アーカイブのコンサルティング、プランニング、マネジメントに従事。