日本人の議論下手という特性について
少し前のことになるが、作家の丸山健二さん(最年少芥川賞受賞者)が日本人の特性を見事に表現しているのを読んだ(注)。「物事の本質に迫るのが最も苦手なのが日本人だ」と言うのである。なぜかというと「島国に大勢いるからです。本質とか核心に触れると、お互いに角が立つ。それを最も嫌う国民だからです」というわけだ。筆者は永年、なぜ日本では記録管理やアーカイブズが根付かないのかという問題を考えてきた。特に最近、日本の記録管理やアーカイブズの関連学協会の活動状況を見て少なからず感ずるところがあったのである。それは財務省の決裁文書改ざんにつながった森友問題、怪文書騒動を引き起した加計問題などなど、これほど記録管理に関する問題・課題が噴出したことはこれまでなかったにもかかわらず、これにつき専門の学協会が何ら議論をしようとしなかった点に対してである。「桜を見る会」については文書管理に関する様々な問題が含まれているが、何か議論をするのだろうか。
そこで最近、つくづく日本人というのは議論が下手な国民だなと、思っていたからである。だから丸山発言を読んでストンと腑に落ちたのだ。丸山発言は正に「日本人の議論下手」に通ずる話なのである。つまり議論下手であるが故に物事の本質に迫れないのである。とことん議論して物事の本質や核心に触れようとすると、お互いに角が立つ。お互いに意見を戦わせることによって、その問題について新しい発見をしたり、認識を深め合ったりするよりも、表面的な人間関係を気にして、白黒をつけようとしないのである。あるいは議論をしたとしても面子にこだわるから、その場の議論で終わらず、いつまでも恨みを残したり、場合によっては相手の人格否定につながったりする。要するに建設的な議論ができないのである。従って進歩することがない。これは日本人の大きな欠点ではないだろうか。
これは何も記録管理やアーカイブズの関連学協会に限った話ではない。最近の国会を見ればよく分かることだが、与野党とも相手を誹謗中傷するだけでまともな議論が全くできていない。特に政権与党の、人の意見を聞かず、論点をそらし、真面目に議論をしようとしない態度は民主主義を否定するものと言われても仕方がない。従ってこれは正しく日本人共通の問題なのである。

アーカイブ研究所所長 小谷允志
記録管理学会前会長、ARMA(国際記録者管理協会)東京支部顧問、日本アーカイブズ学会会員、日本経営協会参与、ISO/TC46/SC11(記録管理・アーカイブズ部門)国内委員。
著書に『今、なぜ記録管理なのか=記録管理のパラダイムシフト』(日外アソシエーツ)など。