2010年を振り返って
今年2010年は、情報管理や情報公開に関して話題の多い年でした。
昨年6月に公文書管理法が成立し、政権交代もあって、長い間「闇の中」だったことが、いろいろと明らかになってきました。
「事業仕分け」では、さまざまな無駄遣いが白日の下に晒され、ここでの論議が公開されたことも意義深いことでした。このコラムでも取り上げましたが、秘密のベールに包まれていた刑場が公開されたことは、死刑存廃論議に一石を投ずる画期的なことでした。
また、外務省が「作成後30年を経過した文書は原則公開する」規則をつくったことも注目に値するできごとでした。
一方、尖閣諸島での漁船衝突事故の映像がインターネット上に流出するという事件は、当局の情報管理の甘さを露呈するものとなりました。
一連の情報開示の進行は、インターネット時代を迎えて情報の「統制」が難しくなってきたこと、世論の圧力に抗しきれなくなったことが背景にあることは間違いありませんが、あらゆる情報は公開することが原則、という考え方が、成熟した民主主義国家、あるいは公的存在である企業の「常識」として浸透してきたことと緊密に関係していると思われます。
外務省は年の瀬の22日、外交文書291冊を外交史料館で新たに公開しました。この中には、1972(昭和47)年の沖縄返還に関する日米交渉などの文書が含まれ、「密約」の存在を裏付けるものもあって、新聞各紙で大きく報道されました。
このこと自体は喜ぶべきことですが、外務省には作成後30年以上経過しながらまだ公開されていない文書が約2万2千冊もあるということで、今回公開されたものが全体の中でどのような位置づけのものかわからないと毎日新聞の社説では指摘しています。
このままでは、勘ぐれば都合の悪いものは廃棄して、無難なものだけ公開すると言うことが可能になってしまいます。
これは、そもそも公開を前提としないで文書を作成し、保管しているために起こる問題です。本来であれば現用時代から連番を付与するなどしてリスト化し、これを非現用になっても引き継げば遺漏なく移管ができます。
現状では、そういったルーチン、橋渡しがうまく機能していないのです。ともあれ、公文書管理法施行を待たず新しい取り組みに着手した外務省の姿勢は高く評価できます。田の省庁も一刻も早くアクションを起こして欲しいものです。
来年の春には同法の施行が予定されており、国のあらゆる行政機関について情報の保存・公開が一層進むものと期待できます。
ヘリテージサービス事業部アーカイブ担当 中川 洋
歴史系博物館学芸員として資料の収集・管理や展示・教育業務に携わり、現職に就く。
現在は、企業および学園アーカイブのコンサルティング、プランニング、マネジメントに従事。