よみがえった姫路モノレール
失われたもの、古き佳き時代へのノスタルジーは、静かな「昭和レトロ」ブームを招来するほどになっています。平成になって四半世紀が経過して「昭和」は遠きになりにけり、といったところでしょうか。
昭和41年、城下町姫路に全長2キロに満たないながら、当時最新の技術を駆使した市営モノレールが開業しました。姫路駅前と「姫路博」が開催されていた手柄山公園を結ぶもので、市営モノレールは日本初で、都市部の新交通として期待を担っての登場でした。
しかし、利用者は少なく、わずか8年で営業を止めてしまいます。この「幻のモノレール」が、一昨年(平成23年)、37年ぶりに市民の前に姿を現しました。
もちろん、すでに線路は分断されていて、走ることはできませんが、終着駅があった建物に遺されていたプラットホームに、保管されていた車両が展示されて、往時の駅の賑わいを復元しました。
駅舎やプラットホーム、大きな車両が、40年近くそのままの姿で保管されていたことも奇跡的ですが、さまざまな保安機器や、乗車券などの各種資料、映像などもあわせて公開され、よくぞこれだけのものを遺しておいてくれた、と感動を覚えました。
展示公開の背景には、モノレール計画を推進した市長の子息が市長に就任したという政治的な理由もあるようですが、赤字で運行をやめた、市政のうえでは「負の遺産」である、このモノレールに再度陽の目をあてた当局の英断には敬意を表したいと思います。
ここで使われていたロッキード式というタイプのモノレールは、すでに国内にはなく、さまざまな実物資料は貴重な産業遺産です。単なるノスタルジーではなく、交通史や技術史、と都市史、文化史上も貴重な展示ということができるでしょう。
モノレールに乗ったことがあるという世代のお母さんやおじいさんが、子供や孫たちに実車を前に思い出を語っている姿は、大変微笑ましいとともに、こういうことの蓄積こそが歴史を継承することなのだと痛感しました。

ヘリテージサービス事業部アーカイブ担当 中川 洋
歴史系博物館学芸員として資料の収集・管理や展示・教育業務に携わり、現職に就く。
現在は、企業および学園アーカイブのコンサルティング、プランニング、マネジメントに従事。